Jailbreak

新しい世界の切り取り方

Uruの「Funny Bunny」のカヴァーで、この曲のパワーに改めて気づかされる

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 アクエリアスのCMで聴きなれた曲が、シンプルなアレンジと女性の素直な歌声で聴こえてきた。この刺さる歌詞は何だったかなと少し考えて、CMが終わらないうちにthe pillowsの「Funnt Bunny」だと分かった。

何度聴いても、1番のサビの歌詞がこの曲の本筋だと思う。

キミの夢が叶うのは 誰かのお陰じゃないぜ 風の強い日を選んで 走ってきた

the pillows「Funny Bunny」より引用

 

1999年のアルバム「HAPPY BIVOUAC」 収録曲で、本来はアルバムの1曲でしかなかったはずのこの曲。アニメ「フリクリ」、「SKET DANCE」で使用されていたり、ベストに収録されていたりと、人気がある楽曲であると言っても過言ではないと思う。そして、歌詞のテイストとして思い浮かぶのは、1996年の「ストレンジカメレオン」だった。両方の曲とも、歌詞の中では逆境に身を置いている。そうだよな、現実って、基本、向かい風の中にいる実感ってどこかにあるよなと。大なり小なりある経験を上手く拾い上げてくれて、1度聞いて歌詞が入ってくる分かりやすさと相まって、キャッチーに仕上がっていると思う。

 

この曲の自分の解釈が時間と共に、変化している。最初は「他の人の背中を押してくれる、自分から見て、そのままでいいよと言ってくれる曲」だと考えていた。しかし、最近は「自分で過去の自分のことを認める曲」なんじゃないかという考えに至っている。

「他の人の背中を押してくれる、自分から見て、そのままでいいよと言ってくれる曲」と言ってくれる曲ということに関しては、歌詞を素直に解釈すればよいだろう。キミに対して、温かく見守っていて、上手くいくのは今までの積み重ねだよと言ってくれていると考えるのは、割と自然ではないだろうか。ありがちな、エールソングである。

ちょっともう一度考えて欲しいのだが、この曲「Funny Bunny」は直訳するとおかしなウサギである。歌詞の中のキミがFunny Bunnyであると考えると、キミは普通ではなくて、おかしなところを持っていると解釈できる。おかしなところが個性として社会にハマると上手くいくのだが、ハマらないとただの外道になってしまう。ここを冷静におかしなところを客観的に言えるのが、ポイントである。意外と過去の自分の過ちは、冷静におかしいと言えたりする。つまり、キミとは過去の自分であり、過去の自分がやってきたことが正しかったから、今の自分があると言うことなんじゃないかと思う。

今までの山中さわおの歌詞として「キミ」という書き方は特別ではなく、普通に二人称の使い方のようだ。それを考慮すると、「キミ」に自分に重ねるのはちょっと難しい気はするのだけど、自分の背中を押してくれるメッセージをくれているという結論は変わらない。

 

 Uruのカヴァーは、この曲が持つ違う側面を見せてくれている。原曲は、山中さわおの突き抜けるような歌声で、歌詞が強めのメッセージとして伝えられる。しかし、Uruが歌うことによって、凛として芯の通っていつつ、キラキラして世界が広がって聴こえる。アレンジも原曲ではミドルテンポに、ヘヴィに行くというよりは淡々と進んでいくのだが、ピアノ一つでまるで合唱曲のようなシンプルさ。こういうことが相まって、the pillowsの斜に構えた姿勢であったり、自分自身がこの曲に慣れてしまって聴く姿勢が変わってしまったものを、背筋を伸ばしてリラックスして良い姿勢で聴かせてくれることにとても価値を感じている。

同じようなことが、井上苑子がカヴァーした槇原敬之の「どんなときも」にも感じた。槇原敬之の初期の名曲だけど、その甘酸っぱさをちょっと違う角度から感じたことがある。

原曲の持つよいメッセージを、よりシンプルに伝える手法として良い方法だと思う。曲のカヴァーを違う視点で聴かせてくれることで、よりその楽曲を好きになるとても良い例だった。

 

 こちらからは、以上です。

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