Jailbreak

新しい世界の切り取り方

ライブ版の魅力を教えてくれたのはMR.BIG~名曲「Green-Tinted Sixties Mind」で見るライブとその変遷~

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ライブ盤には並々ならぬ思いがあるのだが、それもこれもMR.BIGのライブ盤が良かったという元体験によるもの。

 

あまり邦楽のアーティストがライブ盤を出すことが少ないのと、逆に外タレがライブ盤出しすぎじゃないかと思うくらい発売しているのもある。

ライブとなると音楽だけでなく、見た目も含めたエンターテイメントになっているから、音だけ切り取っても魅力が伝わりにくいと言えばそうかもしれない。

それでも自分はライブ盤には価値があると思っていて、「このアレンジ、ギター1本だとこっちのパート弾くのね」とか「このコーラスはこうなるのか」とか「ライブだとこういう始まり方になるんだ」とCDとかの音源をベースにしつつ、そのまま再現できないから、こういうアプローチをするとかできる限りそのままのアプローチをするけど、耳に届く音はちょっと違うとかがある。

結局、ちょっとした違いなのだが、この「ちょっとした違い」に気付けた自分によくやったと言いたくもなる時もあるのだ。

 

じゃあ、オマエの言うライブ盤の魅力って何なのよ?と言われたら、MR.BIGのGreen-Tinted-Sixties Mind(以下、Green~)を聴いてもらうと良いんじゃないかと思う。

まずは、原曲。2ndアルバムの「Lean Into It」のバージョン。

 

 

まー、爽やかな曲なんですよ、Green~は。作詞・作曲ともPaul Gilbert大先生が書いていて、自分にギターの魅力を爆発的に伝えてくれて、自分がロックのギターっってカッコいい!って思うようになったきっかけである人が書いているってことが大きい。

Paul Gilbertを知らない方はは是非ともよく知ってほしい。

dankantakeshi.hatenablog.com

 

 若干話が脱線したが、この爽やかな曲がライブ盤だとどうなるか。

このアルバム「Lean Into It」の直後のライブ盤1992年の「Live」ではどうなるのか。これを聴いていただきたい。

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まず、イントロにドラムのハイハットの刻みがありつつのイントロが入るわけだ。

そのギターのサウンドはほぼ変わらず澄み切った歪みというわけの分からないサウンドをしているのだ。

そして、Aメロ、Bメロ、サビのハモりはばんどメンバー全員がハモっている。ここはMR.BIGの魅力にもなるのだが、全員歌える。だからこそ、しっかりとコーラスをするので楽曲の豪華さが消えないのだ。

スゴイ、ほとんど原曲通りじゃん!これがMR.BIGの凄いところなのだけど、ミュージシャンとしては当たり前っちゃ~当たり前のアプローチなのだ。

 

そういってしまうと元も子もないので、次のアプローチ。

次の3rdアルバム「Bump Ahead」のツアーでの音源。日本のライブ盤で言うと1994年の「RAW LIKE SUSHI III -JAPANDEMONIUM- 」のバージョンになるとどうなるか。

 

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まあ、イントロの2回目のフレーズでポール大先生があのフレーズを間違う。それは大した問題ではなくて、何が凄いってギターソロ後の3回目のサビ。

インスト一切なしのハモリだけのサビ。丁度16:23~のところで、こんなに美しい曲だったっけ?と思わせてくれるのだが、これに心打たれてしまう自分がいるのだ。こんなハモリ生で聴かせられたら死んでもいいわと思ってしまう。

その程度のアレンジをここ1~2年でサラっと入れてしまうMR.BIGの凄さが感じざるを得ない。「こうした方がいいよね」ときっと誰かが言ったに違いないのだが、そのセンスに脱帽する。

いつだって、既存のものからの脱却は難しいのだ。その中で自分のセンスで感じ取ってこれが最適な解じゃないか?と思って試してみる姿勢は大事なのだ。

 

続いて、これが次の4thアルバム1996年のツアー「Hey Man」の時にはどうなるのか。アルバムで言うとLive at Budokanである。

 

 

もういい加減やり慣れているし、イントロはなんとなくPatのハイハットの刻みから入れてしまうくらいなのである。

やっぱり楽器隊のハーモニーは最高だし、楽曲の再現性はとても高い。もちろん、細かい節回しが違ったり、ギターやベースのフレーズは違うのだけどその違いを楽しむのがライブ盤の楽しみなのだ。

そして、ギターソロ後のサビは以外にちょっとギターは鳴っているし、ドラムもちょっとだけハットで刻んでいる状態。前回が最高だっただけに残念な気がするのだけど、これは「前回のライブとはちょっと違うよ」というMR.BIGからのメッセージなんじゃないかと。前回と違うライブをやっているのでここはまたさらに変えてみたよと。そういう挑戦をする姿を見せてくれるのがライブの楽しみの一つなんだと思わせてくれる。

 

これでお腹いっぱいになってはまだ早い。MR.BIGの演奏能力はただのライブ盤のみならずアコースティックライブでもその実力を発揮する。

アルバムでいうと1998年の「AT THE HARD ROCK LIVE」に当たるこの音源である。

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Paul先生がヒヨったのか!?と思うイントロの大事なフレーズを簡略化するというスタートをするのだけど、それでも最高のコーラスワークが目立つ形であったり、元々楽曲の持つクリーンなイメージを最大限に生かしているアコースティックの編成がへヴィさを抜きにしてくれるのは大きい。

それだもの、1990年代にMTV Unpluggedが流行るよなと理解できてしまう。普段見せない楽曲のアプローチや、サラっとした音による耳に優しいサウンドと歌のメッセージがより聴きやすくなるのだ。これはこれで、こういう魅力を見せてくれて「1つの楽曲にもアプローチが違うだけでこんなにも違うものなんだな」と思わせてくれる。

 

さあ、もういい加減Green~に飽きてきたかもしれないが、まだまだ進化を遂げる。

CDで言うと1999年のシングル「STATIC」に収録されている音源。

 

 

何が違うって、ギターがPaul大先生ではなくて、Richie Kotzenなんすよ。

ここに至るまでは色々あって、Hey Manのツアーの後しばしの休みを取っていたMR.BIGだったのだけど、再度活動を始めようと思った時にPaul大先生がMR.BIGに参加しないとか言い出したわけです。ギターなしでは新しい音源も出せないし、ライブも行えいない。で、元々ベースのBillyとヴォーカルのEricとも旧知の中であったRichie Kotzenに白羽の矢が立ったわけです。

何より、MR.BIGはのBillyとEricがブルースバンドをやりたいといって始めたバンドで、活動を続けていく中でテクニカルなハードロックと歌の魅力が際立っていただけなのです。そして、4thアルバムの「Hey Man」を聴くと、今までの明るいハードロック色よりも元々やりたかったブルースの泥臭さであったり、キャッチーさよりももっとブルース感を意識した楽曲が並んでいたわけです。

 

そんなギターが変わった状態で出した2000年の5thアルバム「Get Over It」の頃の音源がこの音源なわけです。

音として聴いたときに何が違うって、ギターの粘っこさが違うのです。

Paulのギターは音符を分かりやすいリズムで正確に刻むメタル仕込みのギターなわkです。その一方でRichieのギターはファンクやソウルやジャズやブルースの影響を受けたロックで正確さよりも味があるかどうかを重視したギターを弾くわけです。味という意味ではPaul先生のギターよりもRichieのギターに分があるが、性格で気持ち良いリズムであったり原曲を弾いているというイニチアシブはPaul先生に分があるわけです。その一方でタッピング(右手で指板を叩く奏法)を使ったテクニカルなフレーズを繰り出すPaul先生に対して、Richieは普通の左手だけでやり抜いてしまうという逆に難しい方法でアプローチをして弾きこなしてしまうギターテクニックの懐の深さがあるのです。

これは、一概に分かりやすく上手い下手で語れなくて、スゴイギタリストが同じ曲を弾くとこんなにも違うのかということを示していると思うのです。そして、この違いを楽しむのがこの音源そのものを楽しむということなじゃないかと。今までの音源と比べてどうかという相対的にも比べて楽しむ音源としては分かりやすく感じられるのではないかと思うわけです。

これは結局一度解散してしまう2002年のライブ盤FeareWell Tourでも聴けるわけです。

ここにはギタリストが変わるとどうなるか?という大事な観点があって、変わることはあっても替わることはできないのだということをライブ盤を通して思い知らされるのです。

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これで終わると思うのはまだ早い。

MR.BIGは華麗に再結成しているのである。そこには各メンバーの事情があったり、やはり日本で売れたMR.BIGの看板は大きかったのかもしれない。理由はどうあれ、MR.BIGが再結成してくれるのはファンにとってはありがたいことなのだ。

さあ、その再結成の2009年のライブ盤「BACK TO BUDOKAN」の姿を見てみましょう。

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ギターはもちろん初代のPaul先生。MR.BIG再結成にふさわしいフルメンバー。

あれから15年経過してミュージシャンとしても成熟して見せてくれるパフォーマンスはとても丸い。様々な要素が重なってなのだが、一番音楽としてまとまった姿を見せてくれているライブになっている。サウンドの尖りがなくなり、一つの塊になって届けてくれる音楽になっている。

細かいことをいうと、ギターソロでPaul先生が中盤でタッピングハーモニクスを聴かせてくれていたり、2番のAメロでベースのBillyが小技を利かせていたりはするのだが、そんなことよりも15年以上という年月が経ったのにこの楽曲が素晴らしい輝きを放って自分たちの前にまた現れてくれたことが素晴らしいのだ。

細かいことをいうとチューニングが半音下げになっているので、それによる楽曲の雰囲気の変化もあるのだが、外タレはライブで音を下げることを躊躇なく選ぶことがあるのです。例えばBon Joviのライブ盤なんかを聴いてもらえば分かるはずです。ライブはカラオケではなく、「その楽曲をCDのまま再現しろ!」なんていうことがいかに陳腐な考え方かということを理解させてくれるのです。

 

ここまで長く語ってきたライブ盤の魅力ですが、これはたまたまMR.BIGが経年変化であったりライブにおけるアプローチとしてその時最高だと思うことをしようという姿勢を見せてくれるからこその価値であることは確かなのです。

いかんせん、邦楽のアーティストは音源通りにこだわりがちな気がするわけで、特にロック以外だとそういう傾向があるんじゃないかと勝手に思っています。

もちろん、「アルバム完全再現」なんていうライブは非常に価値があるわけで、Dream Theaterの連続公演の2日目には「ハードロックの名盤をそのまま再現してみる」というコンセプトのもと、様々な名盤を再現している。これはスゲー!!!と思わざるを得ない例で、楽器の超高レベルなテクニックがあって、バンド全体がそれを良しとしてやりきってしまう力があるから価値がある。そこに、口パクだったりCDそのままなんてことは絶対にないわけです。

しかし、ライブの楽しみ方としてはオリジナルのCDで聴けない別な面を見せてくれることなんじゃないかと思うわけです。だって、オリジナルと同じ音で音が流れてきたところでCDと同じ感動しかしないわけで、仮にPVと違う風景が見えて同じ空気が吸えてとかそいういう違いしかないのです。それよりも鳴っていて聴こえてくる音の違いを感じ、今ここでしか聴けない瞬間の音を楽しむのが良いんじゃないかと。

そういう体験をさせてくれるのがライブ盤なんだと思うわけです。

言葉にすると長くなってしまうのですが、要するにそういうことなのです。

 

こちらからは以上です。

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