映画「四月は君の嘘」が公開された。
実写版となり、原作の漫画の世界をいかに表現できるかが焦点となるだろう。
漫画自体は連載を終えており、作品としてほぼ固まっているため、話の展開や結末は見えている。
その上で四月は君の嘘(以降君嘘)の魅力について書いてみたい。
四月は君の嘘
「あの日、僕はピアノが弾けなくなった‥‥」仄暗い青春を過ごす元・天才少年、有馬公生。夢も恋もない世界に佇む、彼に差し伸べられた手は名も知れぬ少女のものだった!! 少女の名は宮園かをり。性格最低・暴力上等の彼女はしかし、まぎれもなく最高のヴァイオリニストだった!公生は、かつて住んでいた音楽の世界に、強引に引きずり戻される。カラフルに色づく、音楽の世界に! 完結後の今もなお、各界からの絶賛の声が鳴り止まない音楽コミックの金字塔!「音が聴こえる」その描写から、目が離せない!
講談社コミックプラスより
主人公の有馬公生を中心として、中学3年生の春から話は始まる。家が隣の幼馴染の澤部 椿とサッカー部部長のモテ男の渡 亮太という3人組に渡に好意を寄せるバイオリニスト宮園 かをりを紹介してもらうところから話は始まる。
公生はピアノコンクールを総なめする天才であり、そのきっかけとなった母が亡くなったことでピアノから遠ざかっていた。
と、始まるお話ではあるのだが、登場人物各々の事情が絡み合いながら時間が過ぎ、成長していく姿を見せてくれる。
これだけでは、普通の漫画と何も変わらないが、これから紹介する要素が絶妙なスパイスになって話を引き立ててくれる。
青春要素
主人公や主要な登場人物の半分以上は同い年の中学3年生。多感な時期であり、そろそろ個性も出てくる頃。目の前のことに集中しもするし、もう少し中期的・長期的な未来にも目を向け始める。そういう自分が出来上がってきて、未来に向かい始めつつ嫌でも成長を見せる時期なのである。
そんな中で「誰に出会い、どう関係を築くか」ということが大事に描かれている。
それは、ピアノを一度は捨てた主人公の公生がかをりに出会うことで、また音楽への道を歩み始めたり、幼馴染の椿との関係が年齢とともに微妙になったり、ピアノのライバル達は公生を目標にしてコンクールに出場する。その一つ一つに全く別の世界で関係性が描かれている。一方通行な場合もあるし、どこか想いが重ならないこともある。そういうものをどこか微笑ましくあり、より現実的だがあるあるに落とさない絶妙なバランスで描かれている。
もちろん、恋、部活、帰り道、二人乗りなんていうことがこの年齢・この時期だからこそ生きてくるのもある。
この出会いや関係が大人になってしまうと、仕事であったりプライベートであったりとどこか利害が発生してここまでのバランスにはならないのではないだろうか。理屈ではない出会いや関係、交わる思惑によって導かれる結果が最高のものではなくても、良しとしてしまうのは青春の力だ。
クラシック・楽器演奏要素
話のメインはコンクールや発表会への出演が一つの目標として設定される。そして、話の中心となる公生はピアニストであり、かをりはバイオリニスト。それ以外に登場する人物もピアニストが多い。そして、そのジャンルであり主戦場はクラシックである。
各コンクールや発表の際にはクラシックが演奏されるし、11巻までにいくつもの楽曲が紹介される。是非とも漫画とともに実際の楽曲を聴きながらそのシーンを読んだり、どういう音楽なのかを後で聴いていただきたい。これをするだけで作品の深みが一気に増す。
音楽という特性上知っている曲であっても、明るい曲だから明るく、暗い曲だから暗く、悲しい曲だから悲しく聴こえるばかりではない。悲しい曲なのに、どこか明るさを感じたり、明るい曲なのにその裏の闇を感じたりすることがある。
そういうエピソードもあるので、そういう観点を持って楽しむ方法があるということを覚えておいていただきたい。
もう一つは楽器演奏の要素だが、これは芸術性を高めるために猛烈な練習を行っているという意味ではスポ魂に近いものがある。とはいえ、あまりこの辺のメソッドだったりを細かく描くことはないのだが、楽器演奏がスポーツと共通する点として「自分との闘いであること」が挙げられる。
公生を始め、楽器演奏をする登場人物が必ず熱心に練習をする姿が描かれる。これがとても辛そうなのだ。自分も楽器演奏をするのでよく分かるのだが、何故辛いかはあまり触れられない。その辛さは、100点満点の95点の状態からあと1点あと1点と積み上げつつ、今までの分を取りこぼさないようにしなければならないから。新たに表現を手に入れても今まで手に入れたことを捨てては意味がないのだ。
こういう楽器へ音楽へ真摯に向き合う姿の描かれ方は素晴らしい。そして、辛そうな姿も若干コミカルになることもあるが、しっかりと描かれている。登場人物達は天才ではなく秀才なのだ。そこに妙なリアルさがあるのだ。
コメディ要素
青春に音楽にと暑苦しい漫画になってしまいそうなのだが、そこはしっかりと抜きどころがある。それがコメディ要素であり、心穏やかにこの漫画を読み切れる大事な要素だ。
どうしたって真剣に向き合う姿が描かれていて、緊張感があるシーンが続くことが後半戦は多くなっていく。だからこそ、前半からずっとある漫画らしいコメディ感がいい具合に息抜きをしてくれる。
例えば、スラムダンクの単行本の各お話の末には丸の中に一コマだがアニメ顔の2頭身のキャラが一言言っていたりする。それと同じように所々で緊張感を緩める簡易的に描かれたキャラクターがいて、現実離れした雰囲気でツッコミを入れたりコミカルな動きを見せてくれる。
アクセルが真面目なシーンだとして、コメディのシーンはブレーキもしくはシフトダウンの役割を与えてくれる。ずっと張りつめて、上り続けるお話より、上り坂と下り坂があってアップダウンがしっかりとあるお話は自分の中で揺さぶられ記憶に残るのではないだろうか。
公生はどれだけ蹴られたんだろう?と思うくらいかをりや椿によく蹴られている。でも、それはバイオレンスさの表現だけではなくて関係性を表していて、蹴りが届く距離にいる人たちの話だと思うと見方が変わるんじゃないだろうか。
個性的な登場人物
作画能力にも関わる部分だが、しっかりと白黒のマンガの中でも各キャラクターが判別できる。これは実は漫画の中で結構重要で、たまに有名漫画で売れているマンガでも誰が誰だか分からないことがある。こういうキャラが立っていることで「この人が好き」に始まり「この人が嫌い」という意見が出てくる。そういう意見が出てくる時点でしっかりと登場人物が描かれていることの証明に他ならない。
公生のピアニストのライバルとして描かれる井川 絵見と相座 武士。二人はコンクール上位の常連であり同い年の公生をライバルという位置で性別も丁度よく男女。井川 絵見は女性的な繊細さを見せつつ熱量の方向が内向的で分かりずらく一人で燃えているタイプ・一方、相座 武士は男性的な力強さを見せつつ熱量の方向が外交的で分かりやすく「ウワー!!!」と叫んでしまうタイプ。ここから読み取れる表現の違いや成長は見どころで、主人公の成長だけを描く漫画とはまた違う世界がある。
見た目も中身も違うからこそ、しっかりとそのストーリーが成り立ち、キャッチーで突き刺さり印象に残る。似たような同じような見た目の何だか良くわからないキャラは解釈に困るだけである。
心に残る話
君嘘は各巻、各話がしっかりとしていて見せどころがたくさんある。画として素晴らしかったり、名言が入っていたり、その両方が入っていたり。
ここからは自分が君嘘を見てきた中で、特に印象的で心残った話を紹介したい。
1巻:第1話 モノトーン
ここが全ての始まりで、公生が何度となく味わうこととなるターニングポイントが現れる。モノトーンの世界の中に宮園かをりが現れて一気に話が進み始める。公生の意思とは関係ないところで動いている世界だったはずなのに、ちょっとボタンを掛け違えて思ってもいない出会いになる。
第1話だが、公生をはじめとしてかをり、椿、良太がどういうキャラであるかがしっかりと描かれている。それだけに今後の展開の起点として安心して読み進められる。
公生とかをりのファーストコンタクトは必見!
2巻:第8話 水面
かをりの天真爛漫さが分かる名場面があるお話で、公生が自分を持ち直すお話。
かをりに突然指名されて出場した音楽コンクール後、 かをりに会えなかったが突然構成の目の前に現れる。もう、天使とか妖精なんじゃないかと思うような現れ方。
公生のかをりに対する「憧れ」がハッキリして、どんどんかをりに乗せられていく公生の意識が変化と、かをりが公生を説得するシーンの中でも特に説得力があるお話だ。
3巻:第10話 帰り道
公生と椿は家が隣の幼馴染。誰もが一度は憧れるであろう幼馴染の良さ、「相手のことを良く知っていること」が描かれている。
君嘘は音楽漫画なのは確かだけれど、この話は青春要素満載でちょいちょい出てくる幼馴染要素の中では個人的に一番好き。昔のエピソードとリンクして今の状況が表現されたり、幼馴染だからこそ分かる
後に8巻:29話 うそつき につながっていく椿の気持ちと状況がより明確になり、普段はスポーツ中心であまり女の子らしさを出さない椿に対して公生の名言「椿は女の子なんだな」という超ド級の一発をお見舞いしてからのラストシーンは見もの。
5巻:第18話 君といた景色
ピアノコンクールに出場した公生。そこで失格になる大失態を犯してしまう。
しかし、そこから変化し成長する姿を1曲の中で見せる。
音楽に想いをのせると音に色が出て、音の大小ではない届く音になることがある。多分、そういうことが入っていて、絵で音を見せる表現として本当に驚かされる話だった。
クラシックときくとどうしても堅苦しいイメージを持ってしまいがちなのだが、実はその中にはもっと豊かで自由な世界があると教えてくれる。
7巻:第25話 つながる
公生はピアニストの母を亡くしている。公生の母は公生に徹底的にピアノを叩きこんだ。それが英才教育を超えて暴力にも見えることもあった。それでも、母を喜ばせたくてコンクールに出場し、1位を獲ってきた。
そんな母と最期に交した言葉が公生を縛り、ピアノから遠ざけていた。どんなに悔やんでも悔やみきれない気持ちがあった。
後悔気や呪縛から母の大好きだった曲を演奏することで超えていく姿が描かれている。そして、しっかりその呪縛から解き放たれたとき、演奏の深みが増し世界がさらに広がっていくときのシーンが最高。
最後に
この漫画を貫いていることの1つは誰かに対する憧れで、これが登場人物を変化させていくトリガーになっている。
作中で出てくるコンクールでは否応なしに順位がつけられるし、そこで競い合う姿はスポーツ漫画に似ているが、音楽を評価をされて初めて勝ち負けがつく点はスポーツにはないポイントとなる。
それであっても、どう考えても枠から外れているのに良いものだと判断するのだ。自分の中にある絶対的価値観が「これが良い」と言っているのだからこれは正しいのだ。そういう理屈ではない人の力がしっかりと描かれている。音楽に情景があり、匂いがあり、想い出が過るのだ。こんな音楽の表現はハッキリ言って「ズルい」の一言。
さらに漫画全体の表現力の高さは目を見張るものがある。目に見えない音楽を表現しようとすると、雰囲気や空間とともに言語表現をしなければならないのだが、そこが素晴らしい。
さすがワンピースの作者織田栄一郎が絶賛しただけのことはある。
全体的に価値観を揺るがすようなことをやってのけるのもワンピースと似ている点はある。
案外漫画感があるのはコメディ要素くらいで、あとは割と現実に則して描かれている世界なので映画も良い作品になっていればよいなと思うばかりだ。
この作品は漫画であり、単行本に至っては表紙以外白黒にも関わらずとてもカラフルな漫画なのだ。このカラフルさがこの漫画の最高の魅力ではないだろうか。
こちらからは以上です。
関連記事