Jailbreak

新しい世界の切り取り方

BUMP OF CHICKENとドラマーの上手い下手と好き嫌いと音楽

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※最後にこの記事への後日談へのリンクを追加しました。

ちょっと気になる記事がホッテントリ入りしていて、様々な角度からツッコミが入っていた。

ドラムの話題なのと、せっかくなので自分の考えをまとめてみようかと思う。元記事に同意できる点もあるし、同意できない点もある。

ちなみに自分は元ロックギター小僧のアマチュアドラマーで週末にバンド練習と年数回~数十回のライブをやってます。でも、あくまで趣味なので楽器演奏をする音楽バカだと思ってもらえれば間違いないかと。

もう一つ前提として、「音楽くらい各々聴きたいように聴けばいいし、良いと思えればそれでいいじゃない」と思ってます。

バンドの中のドラム・ドラマーについて

ドラムをバンドの中でよく聴いていただけているのは凄く嬉しいのと、バンドの中でドラムが残念だと聴く気が失せるというのは一部同意します。個人的にはバンドメンバーの誰かだけ明らかにレベルが低いと聴く気が失せます。それ以前に聴く気にならないバンドなんてのはアマチュアの世界にはたくさんいます。iPodで音楽聴いていた方がどれだけ幸せなことか。

その辺の話は置いておいて、上手いドラムって定義しようと思っても難しいなと思っています。 

ポップスやロックでのドラムの役割としては、①リズムを刻んでテンポを決める(テンポキープ)②曲の頭・区切りを明確にして展開をリードするといったところでしょうか。バンドで演奏する際の軸になるパートであるのは確かで、ここがブレるとどの楽器も合わせづらくなるというのが一般的でしょう。でも、自分は他の楽器と合わせて、バンド全体の演奏が合っているかが最終的には大事だと感じているので、ドラムだけしっかりしていても残念な音楽になってしまう。だって、音痴ヴォーカル聴きたい?ステージに立つ資格がないと言われればそれまででしょうが。

現在メディアでよく取り沙汰されるドラマーは大抵”手数が多い”or”グルーヴが気持ちいい”のどちらかもしくは両方を持って、メチャクチャなテクニックを持っている方が多い。Youtubeを見ていても、バカテクを見せてくれるドラマーはアマチュア・プロ問わずいて、何なら若年化も進んでいて神童みたいな子供も探すのは難しくない。そのテクニックの傾向もシングルストロークが正確で速いとかツーバスでとにかくたくさん音が刻める等のビックリ人間コンテスト的なものや、フレーズのオリジナリティで個性を出すものだったりと、いずれも基礎がしっかりないと難しいものばかり。そこにドラムセットも影響されてきて、最低限の3点セットでツインペダルすら使わずにスゴ技を繰り出す男気溢れるパターンや、多点セットでそれ全部使うの?みたいな豪華なセットのパターンもある。自分の場合、シンプルなドラムにグルーヴィなドラムならSteve Jordan、中村達也あたりが思い浮かぶし、手数が多い多点セットなんてのは山ほどいるけどMike Mangini先生辺りが例としてよいかな。

これに対して、一般に評価が低いドラマーがいる。今回の記事を書かれていたブログにもまとめがあったMetallicaのLars Ulrichがいい例じゃないだろうか。まあ、Lars Ulrichの場合、矢面に立ってNapster訴訟の中心人物になったり、その攻撃的な言動もあってロック界の嫌われ者になりがちではある。(個人的にラーズはプロレスでいうヒール的な位置だと思うんだけど、その辺は割愛する)ドラマーとしての評価の低さは人間性もあるが、テンポキープ力の低さの指摘がある。いや、正しくは原曲よりテンポが早くなる。よく、「Metallicaのライブのテンポは1.5倍」なんて言われたりする。自分の大好きな「Fuel」もテンポが上がりがちな曲である。まずは、アルバム『Reload』から原曲。

続いて、ライブヴァージョン。

いつも必ずしもラーズのせいでテンポアップしているわけではないのだけど、それならテンポを落とすように仕向ければよいのだが、そこは勢いで突っ切ってしまう。他にも個人的には好きだが、8thアルバム『St. Anger』のスネアの音もカンカン鳴っていて、評価が低い。

じゃあ、Lars Ulrichが評価されないからといって、下手かと言えばそうとも言い切れない。もちろん、上を見ればもっとテクニックに長けたミュージシャンはいるが、MetallicaのドラムはLars Ulrichじゃないとダメだ。それがMetallicaのアイデンティティになっている。ライブでテンポが上がったせいで、テンポキープができなかろうが、インタビューで敵を作るような発言をしようが、そんなことはどうでもよくて、Lars Ulrichであることに価値があるカリスマ的な価値なのだ。そして、Metallicaの曲作りはヴォーカル&ギターのJames Hetfieldが持ってきたリフをLars Ulrichとジャムセッションをして作り上げている。つまり、Metallicaの曲作りの中枢を担うメンバーであり、アレンジも含めた楽曲全体に曲作りの段階から影響を与えているメンバーなのだ。なので、ドラムと言えども外的な評価に関わらず楽曲全体やバンド全体への影響は計り知れないのだ。何より、BUMP OF CHICKENのような幼馴染でできているバンドの場合、他のメンバーで代わりが利かないことだって大いにある。

 

さて、件の記事で言及されている「アルエ」の升のドラム。音質の件は後で言及するが、”グダグダなノリ”と”テンポキープなんていう概念がないのではという適当なビート”についてはここで言えそうだ。もう一度自分の持っている『FLAME VEIN』の「アルエ」の音源を聴いてみたのだけど、指摘があるとおり残念なところは多々ある。イントロだけでもシンバルのタイミングが遅れているし、2番のライドの刻みもちょっと遅いと、サラっと聴いただけでも気になるポイントはそこそこあった。なので、これを以てバンプのドラムが下手だと言うのは分からんでもない。もっと言うと、なまじ洋楽でもメタルを聴けるタイプの方なら許せないというのも分かる。

ドラマーにはその人が持つタイム感があって、升はツッコむのが苦手でジャストよりも後ろに音符がある。これが特にテンポが早い曲に出てきていて、頭のバスドラよりもスネアが重たくなりがちである。とはいえ、90年代のオルタナブームで重た目のリズムが好かれてきたので、これが好きな・当たり前な感覚が無くもない。逆に、このタイム感がツッコめるとメロコア路線まっしぐらなノリになる。これはこれでカッコよくて前ノリカッコイイとなるし、こういう前ノリ・後ノリを楽曲に合わせて自由自在に操ることができるとドラマーとしてのレベルが上がるのだけどね。グルーヴってのは不思議なもので、ジャストが正解ではないし、前ノリか後ノリかは楽曲による。少なくとも「アルエ」は重たいビートのアップテンポで、それが嫌いだというなら仕方ないかな。

ただ、『FLAME VEIN』はインディーズ1枚目のアルバムで2日で作ったアルバムだと言うではないですか。さらに、シングルもそのアルバムのシングルカットであると。残念ながら、指摘した例が悪かった。もちろん、インディーズの頃に発売した不完全な音源をアルバム・シングルとして発売していいのか?それはちゃんと音楽を聴けないリスナーを欺いていないか?という元記事の指摘は悪くないし、間違ってもいない。でも、この指摘の筋の悪さはここだけではないのです。

この記事を読んで思い浮かんだのは、Mr.ChildrenのドラムJenこと鈴木英哉のこと。バンプ同様ミスチルも楽曲の良さを売りにテクニックでは売っていないバンドである。そのドラム、鈴木英哉のドラムは楽曲に寄り添ったドラムなのである。先述のドラマー達とはちょっと毛色が違うし、ジャンルも違うので一概に言えないのだが、スゴイテクニックを見せるようなタイプではない。しかし、ちゃんとドラムの立ち位置を分かっていて楽曲を引き立てて邪魔をしないドラムなのだ。Jenもテクニック的な面での評価はあまりされないが、ミスチルとしての楽曲の価値を落とすようなことは絶対にしない。バンプの升はこのタイプなんだと思う。”俺ここにいます!”みたいな主張をせず、楽曲としてバンドとして評価をしてもらうようなドラミングをするのだ。この辺の楽曲に寄り添ったドラムのあり方は別記事にしてある。

他にもプロのドラマーとして必要なことはたくさんあって、楽曲に合わせたアプローチはレコーディングに必要な技術で、ライブとなるとまたちょっと別な要素がある。セットリスト通りに必要なサイン(楽曲の始まりのカウント等)であったり、原曲と異なるアレンジであればその部分や、エンディングのサイン辺りは当然の様に行う。そして、原曲通りに演奏するのであればミスなく演奏しきる技術が必要になり、レコーディングでたまたまできたことを正にして再現をしなければならないことだってある。ライブではいつも通り演奏することはいつも通り間違いなく行い、変更があった点も間違いなくしっかりと演奏する技術が必要となり、その両輪を以てミスのない演奏となる。自分の好きなレッチリのチャドはそのバンドの性質上、ライブのステージ上でジャムセッションをやったりするが、ちょいちょい原曲通りではないし、たまに細かいキメを外すし、スティックを落とすのだけど、最高のプレーヤーである。そりゃ、次元が違うといえば、それまでだし、そこも売りのバンドだから比較しちゃ酷か。

そのバンドに対する必要なテクニックは出す音に大きく左右される。上手くなろうという向上心は忘れて欲しくないが、テクニックだけを追及しても音楽にならないから難しい。

バンプの最近の方向性と音質

どうしても、BUMP OF CHICKENを語ろうとするとき、「天体観測」 をイメージしてしまいがちではないだろうか?そりゃそうだ、バンプの代表曲何?って言われたらいの一番に「天体観測」 って答えるあなたは正解です。この曲が好きになれずにバンプは好きになれないと思う、その感覚は正しいと自分も同意せざるを得ない。でも、ここ数年のバンプを知っていますか?

一応、自分もバンプは人並に好きではあるので、新作が出るたびにチェックをしています。バンプは2010年の6thアルバム『COSMONAUT』と2014年の7thアルバム『RAY』にはサウンド的に大きな隔たりがある。『RAY』以前はバンドサウンドが前提で、可能な限りメンバーが出せる音(主にシンセやキーボード)だけで作り上げてきていた。しかし、『RAY』からは積極的にシンセを導入して、アレンジに対する考え方がバンドとして最大限のアレンジから、楽曲に対する最大限のアレンジに移行しているように思う。どちらが好き・嫌いはあると思うし、そこに関して残念に思うことは今までのバンプのイメージからすれば至極妥当なことだと自分は考える。そこから、「バンプもビックになったな」って思ってしまうのは仕方ない。いずれにしても、バンプもアーティストとして変化・進化しているのである。「天体観測」をやっていた頃の十代が精一杯バンドをやっていた感じとは違うんだよ。その事実をここ2枚のアルバムが示している。

これだけシンセが入っていて、バンドメンバーだけではアルバムの楽曲を完全再現できない状態でライブをやっているのだ。そこには裏で鳴っているシンセや、普段のドラムだけでは鳴らないリズムが入っていて、それに合わせて演奏をすることもある。これが指摘されている同期演奏というやつ。今、日本の音楽界では珍しいことではなく、シンセ等のバンドメンバーだけでは出し切れない音やコーラスなんかも録音済みの音源を流すのだ。逆に、その録音された音源に合わせてバンドメンバーが演奏したりもする。

その同期を行った演奏の意図はアルバムの音をどれだけライブで再現できるかということだと思うんですよ。バンプはメンバーが4人しかいなくて、どう考えてもアルバムで鳴っている音はメンバーだけじゃ物理的に足りない状態なわけです。それでも、ライブで・生で聴こえる音でアルバムの音を再現することでお客さんに価値を与えるってことはあると思うんです。生音で全部やろうとすると、バンド以外のサポートメンバーも雇わなければならないし、リハーサルも複雑になるし、費用もかさむ。それなら、アルバムを作成した時の音源でそれに合わせて演奏してアルバムの音を目の前で再現して見せることに価値はありませんか?

あと、指摘のあった「アルエ」の音源ですが、”全ての音が汚い”は言いたいこととしては分かります。だって、ヴォーカルの藤原の歌声ですら歪んでいて、他の楽器の音も今の時代においては決して良いとは言えない。しかし、同じアルバムでも他の曲の音はこの曲程悪くはないし、メジャーデビューした『jupiter』以降の6枚のアルバム、7全5曲でこういう音はあったでしょうか?少なくとも私は確認できていません。そういう楽曲があるのなら、教えて下さい。そして、全体に歪んだ音でミックスすることはあります。ロックにパンキッシュに仕上げたい時には有効だったりするし、そういう曲だと分かった上で好きになれないのならば、仕方がありません。

当て振り・影武者・生演奏信仰

大きく指摘されている点として、ライブでのハイハットがどう見ても生じゃないというポイントがある。

そして、これを以て生演奏をしていない、客をだますのは良くないと言っておられると自分は解釈しました。"MVやTVもこういうことをされるのが嫌"とおっしゃっているので、この解釈はそう外してはいないかと思っています。

まず自分が思い浮かんだのは、ミュージックステーションみたいな生放送での音楽番組での演奏です。アイドルの口パクやミュージシャンの当て振りがあからさま過ぎて批判の対象になったこともあるので、ここに関しては理解できる範囲です。しかし、自分はシングルやアルバムのプロモーションが目的でTVに出演しているはずで、汚くて実際のCDやデータの音とは異なる音を届けられたところで、CDやデータとして購入するものと異なるので、そんな演奏が聴けたところでお金を出そうかなと思うかというと違うと思います。だって、レコーディングはそれなりのリソース(お金・時間・エネルギー)を使って作り上げた音を、生ライブで数時間リハーサルして生放送で披露できるなら生バンドの音にそんなにリソースを割くはずがないじゃないですか。全部デジタル楽器でできるんなら再現率は高いでしょうが、バンプみたいなギター・ベース・ドラムで構成されているバンドで同じ音はあり得ないでしょう。それを理解した上で、生放送の音楽番組ではヴォーカルだけ生で歌うくらいが妥当な落としどころだと思います。そういうことも含めて、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの伝説の夜は生音で演奏できる状態であり、本来演奏する以外の曲もお願いされてできてしまう、彼らだからこそできたことであって、評価されるべくして評価されていると思うのです。

でも、これでは生放送の音楽番組の話であって、ライブの話ではないのです。生放送の音楽番組はライブとは似て非なるものです。バンプのライブではオリジナルのステージがあって、演出がある。そのステージでちゃんと演奏していないとおっしゃっている。

これも違うと思うんですよ。先述の通り、バンプの音楽的傾向が変わってきていて、楽曲に最適なアレンジをしようというアプローチにここ数年変わってきているわけです。そして、その思想の元にライブで演奏をしようとすると物理的に叩ききれないリズムパートを打ち込みで準備してあることは別に何もおかしなことではない。じゃあ、このリズムパートの一部がハイハットではなくて、タンバリンやカウベルだったらどうでしょうか?ドラムセットに明らかに組み込まれていない音が入っていて、断続的にパターンとして鳴っている。それを叩かない升のドラムは手抜きでしょうか。それとも、そういう細かい音は抜きにバンドの音だけで演奏するライブがみたいでしょうか。どちらを望む方もいると思うのです。そこをバンドとして前者のアルバムの音を再現するという方針でライブを組み立てたのです。なので、批判をしたいのであれば、そのバンドの姿勢であり、升のハイハットをちゃんと刻まない等という細かい点ではないと自分は思うのです。

このバンドとして選択してアルバムを再現するという方針をとったことが、BUMP OF CHICKENの総意だったかはわかりません。もしかすると、誰一人納得していなかったが、レコード会社や事務所等の意図が働いた可能性だってあります。そんなことを言ったら、元記事の通り、本当は本人たちが演奏していないなんてことも想定しなければならなくて、何を信じてよいか分からなくなる。音楽業界の食品偽装問題として佐村河内守が起こしたゴーストライター問題が記憶に新しいですが、きっと大なり小なりこういうことはあるでしょう。もちろん、アーティスト側にはそういうことは一切行わないでもらいたいと思う一方で、歌の音程くらいならデジタルレコーディングができてすぐ修正できてしまう。そうしないと売り物にならないなんてことがあるのも理解できます。そして、余計にホンモノ志向になってしまうのはよく分かります。自分はどんな加工がされていようが、本人が演奏していなかろうが、その楽曲が好きかどうかが判断基準です。もっと言えば、ライブはその姿を証明してくれます。余計な心配をするくらいなら、好きなアーティストのライブを見に行って自分の目で耳でその確証を得ればいい。別に耳が肥えた人でなくたって、自分が感じ取ったことは誰の言葉よりも大事にした方がいい。百聞は一見に如かずってヤツです。

 最後に

元記事のきゃすさん(id:Cass_9999)もかなり音楽を聴いておられて、別にバンプだけを聴いているわけではなく、音楽の記事だけでも洋楽・邦楽とたくさんのアーティストについて触れています。もう少し言葉が欲しい点はありますが、良い問題提起をしていただいたおかげで、あまりまとめて考えていなかったことを言語化する機会を与えていただきました。

個人的にもバンプの升に思うところはあります。

あのドラムセットのセッティング、スネアがLUDWIGのBlack Beauty、シンバルがPaisteの2002シリーズなんですよ。ここから思い浮かべるのはLed Zeppelinのドラマーボンゾこと故John Bonhamしかいない。でも、ボンゾの様な足癖の悪さや(良い意味で)メチャクチャなドラムを叩いたりは全くしない。いろんな音を出して結果的にここに落ち着いたのかもしれないけど、同じドラマーとしてたどり着いたものと出している音との高低差がありすぎて耳キーンとなるんですよ。

その一方で、ドラムのほとんどの時間はビートを刻むことで、「アルエ」の演奏はごく一部で他に残っている音源でそんなの批判されなきゃならないんだろうか?と思うわけです。あんなの彼が音源として残してきた時間の中の1%にも満たない演奏です。打率にしたら9割9分9厘。そして、楽曲に寄り添う演奏をするタイプなので、ヴォーカルやギターのように矢面には立ちません。存在としては所謂「空気みたいな存在」です。でもね、空気が無いと息が吸えないんですよ。なのでやっぱり、升がいないとバンプは成り立たないんですよ。メンバーが変わるとバンドって変わるし、何なら一人いなくなるだけでバンドが解散してしまうことだってあるんです。

もし、元記事で指摘している通り、他の人が演奏をしているのであれば、問題になるべきです。例えば食品偽造でいえば、舌が肥えていない人が松坂牛だよと言われて全然違う本来の価値とは異なる牛の肉を、松坂牛と同等の金額を払うことによって割に合わない思いをする点が問題です。これが音楽、特に演奏でさらに本来の価値よりも高いパターンになるのであれば、スズキの燃費偽装みたいな話になり、安いお金しか払っていないのに松坂牛を食べられちゃったみたいな話になる。ちょっと批判の矛先も結果も違うのです。本当はそんな価値がないのに、高く売れてしまうことに対する問題でしょうか。オメーにそんな価値なんか無いよって言いたいのであれば、そういう視点で語っていただきたかった。ま、気に入らない・納得がいかない音楽は聴かないことに限ります。自分は気に入らない音楽を聴いている時間はないと思っているから余計に。

自分は音楽を細かく聴けないリスナーを憂うのはあまり意味が無いと思っています。音楽はその人の世界で好きなように聴けばいいと思っています。だからこそ、あなたが音楽を楽しめる視点を教えていただければ、自分の持つ視点との相違を見てさらに世界が広がるかもしれない。「この曲、実は裏で鳴っているギターがアレンジのポイント」とか「この歌詞はこういう解釈ができる」とかそういうことを書いてもらえると嬉しい。そして、好きなバンドが変わってしまったのであれば、「昔のここが好きだったのに、今回のこの作品はこんな風に変わってしまった」っていう視点なんかは昔ながらのファンとしての意見として面白いと思うのです。

嫌いを書くのは難しい。自分もブログを始めたころはそういうこともやってみたけれど、嫌いなものを書いている時間が勿体なく感じて、それなら好きなものを全力で書くことに決めた。的確な批判って難しいよなーってのが今回の感想。

こちらからは以上です。

 

この記事の後日談としてサブブログで記事の裏側を書いてみました。

kitano-daichino-gijyutuya.hatenadiary.jp

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