先週、何かのwebで見たのだが、「センスの何たるかは分かんないけど~」のようなものがあった。(残念ながら、ブクマを忘れた)
自分には明確に答えがある。
センスの一つはセレクト力(選択力)があることだ。
セレクト力とは
セレクト力とは最適に・最適なものを・最適な状態で選択することだ。
私たちは毎日選択している。
お昼のランチのメニューをどうするか。コンビニで買うのか、外のお店で食べるのか、お弁当を作るのか。
これは収入や生活パターンや体調や好み等たくさんの要素があったあった上で選択される。
例えば、前日に飲みすぎて二日酔いだと全く昼ご飯を食べたれないかもしれないし、早朝から引っ越しの手伝いをして体を動かしていれば、ガッツリ昼ご飯を食べるかもしれない。
でも、こういったセレクト力がセンスが良いとは一般に言わない。
言葉選びのセンスであったり、ファッションのセンス、音楽のセンス、勉強のセンス、スポーツのセンス等特定のものに限定されていると思う。
特に言葉選びのセンス、ファッションのセンス、音楽のセンスはセレクト力であることがセンスが良いとされる。
最適に・最適な言葉を最適な状態で選んだ人は言葉選びのセンスがある。
音楽にもファッションにも定型がある。
定型を崩すことはそれまでの歴史を否定することになりかねないので、非常に難しい。
例えば、Nirvanaは音楽の理論をぶっ壊した曲がたくさんある。
音楽は定型を壊すと気持ち悪いものになる。
しかし、その気持ち悪さを表現したい、となると話は別だ。
その歌詞はへヴィでダークなものが多い。そんな内容の歌詞を書いていいの?っというものもあるが、それですら受け入れられた。
それに伴って、カート・コバーンがしていたファッションはグランジというファッションのカテゴリを作った。
どんなに定型を壊したって、ダークな歌詞を書いたって、ボロボロの服を着たって世の中が受け入れればそれはセンスが良いことになる。
セレクト力がある・ないとどうなるか
セレクト力がある人はよいのだが、セレクト力がない人は残念なことになってしまう。
服で考えてみれば、セレクト力がないから自分の体に合った最適な服を選べない。
体に対して小さすぎれば運動の妨げになるし、大きすぎればキレイなシルエットが出ない。
自分に最適な色が分からないと、顔色が悪く見えることがある。
音楽であれば、適切に音をセレクトできない。
作曲なんかは多かれ少なかれ音を選択してできるものだ。
ピアノで考えてみよう。
1小節を八分音符でわける。
ピアノは88鍵あり、休符も含めると89。
89の8乗=3,936,588,805,702,081通りとなり、約3969兆というすごいことになる。
それでも最適な範囲と音楽の理論を使うと使う音は決まってくる。
アドリブなんかはまさにこの音のセレクト力にセンスがいる。
「こういう音が鳴っている状態だからこの音を選ぶ」と考えても、「なんとなくこんなもんかな」と出した音でもその音が最適であればセンスが良いのだ。
しかし、センスがないと音を出してもイマイチなのだ。
ハズしのテクニックはあるが、それに対しても理論があるため、理論から外れるとタダのミスになってしまう。
経験で手に入るセレクト力
服のセンスであれ、音楽のセンスであれ、セレクト力は努力すれば手に入る可能性が大いにある。そのための失敗は必須だ。
先ほどの服のサイズだって、何着も服を買っていくうちに「このブランドの最適なサイズはMサイズだな」とか「この寸法だから、普段だと25cmだけど、25.5cmがよさそうだな」ということを経験で知ることができる。
また、アドリブも色々音を当てていくうちに最適なものが当たってくる。そして、経験的にどの音が当たってくるかが分かるので、そのパターンを選ぶのだ。
そこまでバンドのメンバーが練習に付き合ってくれるかは別の話であるが。
最後に
センスが良い方が良いような気がするし、せっかくだからセンスが悪いままよりセンスが良いと言われたい。
少なくともセレクト力を磨くことでセンスは多少なりともよくなる。
当然、好き・嫌いも関係するからどんなに流行りのファッションがあっても自分としてセンスが良くないと思えば取り入れる必要はない。
生きるセンスは死ぬまで磨き続けるしかない。
こちらからは以上です。
合わせて読みたい