これがまた厄介な話でして、普通ってのは広がっていくんですよ。そして、ど真ん中がどんどんズレていく。きっとこれが慣れとか順応なんでしょうが、そういうもんだと思って付き合っています。
己の普通と普通じゃない
まず自分自身が思う普通・普通じゃないがどんどん変化する。そして、普通だと思っていたことが全然普通じゃないことにも気づきます。
自分が音楽を聴き始めたのは小学校高学年で、WANDSやZARDやFIELD OF VIEWなんかのビーイング系アーティストが全盛期でした。それはアニメのスラムダンクあたりで聴いたことがきっかけだったきがしますが、はっきりとは覚えていません。それからミスチルにハマるわけですが、当時『BOLERO』をリリース後で滑動休止中。過去の作品までさかのぼってそれまでのアルバムを全部聴きました。あとは特別好きだったわけではないですが、小室ファミリーが売れていたりした90年代のメチャクチャCDが売れていた時代の曲は耳に残っています。きっと、この辺が自分にとって90年代のJ-POPが普通の起点となっています。
それから、ハードロックバンドMR.BIGに出会います。今まで聴いたことが無いカッコよさで、ロックのカッコよさに自分の普通が寄っていきます。洋楽カッコイイ、テクニック満載のロックカッコイイと変化しました。
といっても、ミスチルは好きだし、それ以前に好きだったものは好きなまま、ストライクゾーンが広がりました。この辺から音楽雑誌を良く買うようになって、様々なアーティストの情報を仕入れていくことになります。
この後にOzzy Osbourne、Slayer辺りに手を出すように見事メタルカッコイイにストライクゾーンが広がっていきます。へヴィでハードな音楽は抵抗なく聴けるようになっていきました。
その一方、どうも普通じゃなくて聴けない音楽もありました。
Van HalenやGuns N' Rosesはハードロックを聴こうと思うと必ずと言っていいほど通る道。特に当時はギター小僧だったので、ギターが上手いバンドは聴こうと思う対象でした。でも、有名な曲を聴いてもそんなに気に入らなかった。言うほどいい曲か?と思ってしまったのです。
これも結局、好きじゃなかったけれど何度も聴いたり、他のバンドの他の曲と比べるとやっぱりカッコよくて好きになった。単純接触効果もあっただろうが、色んな音楽を聴くうちにその楽曲の価値が相対的に上がった形だ。
他にもオルタナティブロックはこういう感覚がたくさんある。
Nirvanaは『NEVERMIND』で知ったが、最初は「Smells Like Teen Sprit」が良かったくらいでその後3曲「In Bloom」~「Breed」くらいまでしかまともに聴く気にならなかった。
どう考えてもNirvanaにとって「Smells~」がポップでキャッチー過ぎて普通ではないのだが、自分にとっては普通。だが、ある時、Foo Fightersを聴くようになって、グランジ界隈で使われているスケール(音階)がしっくりきてからは、かなり気に入って全曲聴くようになった。この辺は後でもう少し詳しく書く。
色んな音楽を聴いて「普通」と「普通じゃない」と「好き」と「嫌い」を天秤にかけて、「普通じゃない」かつ「好き」に流れるとその部分が「普通」になるのが連続しているのだ。
アーティストの普通と普通じゃない
聴く側も変われば、作る側も変わる。元々やりたかったことをやりだしたり、別な音楽の影響を受けて今までの音楽性からガラっと変わるのだ。 変化自体は仕方がないことであり、ずっと同じものを同じように続けるのは難しい。大きく変化することで今までのファンを失うこともある。
例えば、Metallicaはデビューから4thアルバム『...And Justice For All』まではスピードとへヴィさと攻撃性を押し出しつつ、静寂も対比として取り入れてきた。スラッシュメタルはこういうものだ!と長らく基本スタイルとして見せてきた。
5thアルバム『Metallica』(通称ブラックアルバム)では、スピードや攻撃性よりもグルーヴさとへヴィさを前面に押し出したスタイルに変化した。ブラックアルバムは1991年に発売されており、1980年代後半からグランジ・オルタナティブブームの影響もあっただろうし、ハードロックやメタルがカッコ悪く見られる時代に入っていたのは確かだ。この変化の好き嫌いが分かれるのだが、ブラックアルバムはMetallica史上最高の2000万枚以上のヒットを記録した。
後に『Load』『Reload』の迷走2作品とやっちまった『St.Anger』に続く。個人的には好きなアルバムだけれど、どんなアーティストだって迷走するのだ。
他にもORANGE RANGEはソングライターのNAOTOの意向なのか、ミクスチャーっぽいサウンドからテクノ・ダンス系のサウンドへ変化したし、椎名林檎は1st、2ndアルバムと3rdアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』とでは今までのバンドサウンドから一転、ストリングスや民族楽器、雅楽器と今までよりも幅広くジャンルにとらわれない音楽性を出したこともある。
逆にほぼ音楽性が変わらないアーティストもいて、Metallicaと一緒にスラッシュメタルの四羽鴉と呼ばれるSlayerはマイナーチェンジはしているが、基本路線やサウンドは大きく変わっていない。日本のバンドでもスピッツはサウンドや楽曲の方向性が大きく変わってはない。それでも、新曲には新鮮さがあるからこれはこれで違う凄さがある。
様々なきっかけはあるしアーティスト主導ではない場合もあるのだが、ずっと今までの音楽性が普通だと思っていると変化することは大いにあるし、変化してまた戻るなんてこともあるので、今までを根拠に新作が普通かどうかという視点くらいしか持つことができない。
最高の普通と永遠の普通じゃないを追いかける
己の普通と普通じゃないの線引きがある程度決まってくると、聴いている作品が自分の中で普通か普通ではないかを無意識に判定している。普通か普通でないかは作品の評価の根拠にしがちではあるが、「普通だから好き」や「普通ではないけど好き」もあるのであんまり意味がない。
普通の曲ばかり聴くのは楽しいのだけど、普通じゃない曲に手を出してみたくなることもある。刺激が欲しいとか変化を求めることは音楽だけにとどまらないが、音楽でも同じようなことがあると思う。今まで聴かなかったアーティストを聴いてみるのもそうだし、自分が普通だと思うジャンル以外のジャンルを聴くのもそうだ。
前述の通り、自分は洋楽のメタルバンドが好きで、色々なバンドを聴いている。メタルのBIG4といえば、Anthrax、Slayer、Megadeth、Metallica。全てのバンドのオリジナルアルバムを聴いたが、順番の関係上Slayer・Metallicaが普通で、Anthrax・Megadethは普通じゃないという感覚がある。Anthraxはパンキッシュだし、Megadethはリフの感じが他のバンドと明らかに異なる。だが、これがまた良くて、ど真ん中をついてくるMetallicaを聴いた後にMegadethのデイヴ・ムステインのガリガリの声を聴きたくなる。高温サウナとスチームサウナを行ったり来たりみたいなそんなイメージだ。
Slipknotはデス声であおりまくるプレイスタイルが案外受け入れられて、1枚目はあまり好きじゃなかったが、2ndアルバム『Iowa』がなかなかいい感じだった。
これもあったので、デス・メタル方面も聴いてみようかなと思ったが、結果的には全然好きじゃなかった。もっとスゴイメタルを求めてGrindcoreにも手を出したが、全然何言っているか分からないし、グルーヴが全然わからなくて楽しめなかった。Napalm Deathはスゴイんだけど、ビックリ人間大集合にしか思えなかった。
こういうの以外にも最高の普通を見つけることもあった。Whitesnakeのライブアルバム『Live: In the Shadow of the Blues』は王道の中の王道でど真ん中に200km/hの剛速球をキメられた感じだった。Whitesnake好きだから買ったのだけど、自分の王道を再認識させられた。後に最高のメンバーが揃っていたことに気付いたから余計にだ。
山下達郎や小田和正の作品を聴くと、自分の中の王道の中の王道が分かってとても楽しい。 以前書いた記事の結論とは異なるけれど、大御所の新作にはこの「自分の中の王道の中の王道」を求めてしまっている。
最後に
普通なんてもんは無くて、自分の中の相対的なモノサシでしかないんだよなと思うし、変数が多すぎて全然定まらない。自分のストライクゾーンを再確認させられたり、これは違うなと思わせられたり。普段あまり意識しないで音楽を聴きがちなら、普通か普通じゃないかとかを考えてみるのも悪くない。
こちらからは以上です。
関連記事