2017/02/04 歌詞に関する記述を一部修正
先月、DVDで「秒速5センチメートル」を見た。
なかなか面白い作品だったのだけど、 DVD・Blu-rayの映像作品以外に小説、小説(one more side)、漫画と他に3つのパターンがあることが分かった。
Amazonのあるレビューで、秒速5センチメートルを見る順番は映像(DVD・Blu-ray)→小説→漫画→小説(one more side)が良いとあったので、人が薦める楽しみ方に乗ってみるのも良いと思い、小説を読んでみた。
結果として、同じ作品でも映像作品を文章で読む意味はあり、映像と音楽だけでは拾いきれなかった世界がそこにあった。
小説・秒速5センチメートル
小説・秒速5センチメートルは映像作品としての「秒速5センチメートル」の同じ話をただ文章にしただけなんだろうと勝手に思い込んで読み始めた。
それは、タイトルが同じだったリ、始まり方がほぼ印象にある映像作品の「秒速5センチメートル」とリンクしたから。
もちろん、作品としての結末であったり、大きな流れは変わっていない。
そのはずなのに、文字になった言葉には映像作品とは違った説得力があり、自分が拾いきれなかった繊細で色鮮やかな世界があった。
それは、最初の第一話「桜花抄」から始まる。
映像版の中でも貴樹と明里が似た者同士だとナレーションがあったが、文字にすることでより似た者同士であることが分かった。
転校生独特の孤独さの共有であったり、本が好きだったりとその一つ一つのエピソードが文章だと丁寧に読み取ることができる。
それは第二話の「コスモナウト」も一緒だった。
花苗の気持ちの変化も同じだ。
あんなに好きだった貴樹への気持ちの変化が文章だと適切なタイミングで手に取るように分かった。
これは映像作品では自分は読み取り切れず、少し謎が残っている部分であっただけに妙にしっくりきた。
新海誠監督が伝えたかったことが映像では75%だったのに、小説版で補うことによって100%楽しむことができた。
ただこの小説、100%どころか200%楽しめる作品だったのだ。
ずるい、ずるいぞ小説版
この小説を読み進めていくと、ある時点でおかしなことに気付く。
第一話「桜花抄」、第二話「コスモナウト」と一話ごとに減っていくページ数と第三話「秒速5センチメートル」を読み始めた時に残ってるページ数が映像作品と合わないのだ。
映像作品だと第一話「桜花抄」が約28分、第二話「コスモナウト」が約22分、第三話「秒速5センチメートル」が約15分で、第三話の「秒速5センチメートル」は短い。
これはエンディングに差し掛かっているので、過去の回想シーンも含んだ第三話の量になっているので、本当に第三話は短く感じる。
しかし、小説版は第3話が全体の3分の1よりも多いページ数になっている。
ここがポイントで、映像作品では分からなかった貴樹の恋愛遍歴が貴樹の語り口で語られていたり、プログラミングを仕事にして仕事を辞めてフリーになるまでが描かれている。
映像作品では分からなかった水野 理紗との出会いや付き合い方も分かる。
ただ、あの名言「1000回メールしても、心は1センチくらいしか近づけなかった」が出てこなかったのが不思議。
貴樹が夢見ていた未来とは違う方向に進んでいたのだけど、それでもどうにもならないことだと割り切って前に進む姿が妙に自分が何かを割り切る時の姿と似ているような気がしてならない。
映像作品よりも内容が濃い第三話「秒速5センチメートル」を読むだけでも意味はある。
その時流れていた音楽
自分は本(特に小説)を読むとき、音楽をランダムにかけている。
それは既に評価済みでいい音楽だと分かっているものだけなのだけど、ここで音楽との新たな出会い・発見が起こることがある。
この辺は別記事にある、音楽の探し方にも関わってくる話で。
そんなわけで、今回読んだ小説に妙にマッチした曲達を紹介したい。
第一話「桜花抄」
まずは「悲しみにさよなら」。しかもこれがつるの剛士のカヴァーバージョン。
原曲は安全地帯であり玉置浩二の曲。
このサビの歌詞とメロディが桜花抄の中学校で転校してしまう明里にたいして本当は言いたかった貴樹の気持ちを代弁しているような気がして。
あとは、スターダストレビューの「木蓮の涙」
これも、サビの歌詞が電車を乗り継いで明里に会いに行く貴樹の気持ちに合っているような気がして。
逢いたくて逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探している
あなたを呼んでいる
どちらも元々名曲なのだけど、マッチするシーンがあるととてもよく聴こえる。
第二話「コスモナウト」
コスモナウトはどうしても語り手が花苗の視点になってしまうので、花苗の気持ちに寄り添ったものが合っていた。
まずは、3 Doors Downの「Here Without you」
これも全体に纏っている雰囲気とサビの歌詞。
I'm here without you, baby
But you're still on my lonely mind
I think about you, baby
And I dream about you all the time君のいないここに独り立っているよ、ベイビィ
でもこの寂しい心の上に君が今も居るんだ
君をずっと想っているよ
そしていつも君を夢にみてしまう
歌詞は男目線に見えるけど、これが女性目線ならピッタリで。
そして、もう一つがグッドモーニングアメリカの「春が迎えに来るまで」
言葉は途切れ途切れなでとてもテンポが遅い曲なのだけど、妙に 2人の関係の距離の知事まり方の遅さと重なる。
別れの時が迫る
僕ら言葉を探すけれど
名前を呼ぼうとする
それだけで
涙が零れてしまいそう
嗚呼
この辺の歌詞が最後のシーンととても重なる。
第三話「秒速5センチメートル」
やっぱり、締めにあたる話だけあって、凄くに似合う曲が多くて。
Michael Bubléの「Hold on」とかProcol Harumの「A Whiter Shade of Pale(青い影)」なんかもサウンド的には非常によかったのだけど、それよりもLady Antebellumの「Need You Now」が良かった。
Lady Antebellum - Need You Now
とても静かだけど、内に持っている熱さだったり想いが表れてきてしまう。
これもサビの歌詞がドンピシャで。
And I wonder if I
あなたの脳裏を
Ever cross your mind
私が横切ることはあるのかしら
For me it happens all the time
私はいつでもあなたを思い出しているから
そう、この第三話は貴樹と朱里はお互いを思い出すお話しでもあるから。
もう一つはあまりにもベタなのだけど、Mr.Childrenの「Tommorow never knows」
やっぱりこの曲も悲壮感がありつつ、前に進む姿勢を見せてくれる曲。
特に最後のブリッジ
再び僕らは出会うだろう
この長い旅路のどこかで
というところは、結果的には出会うのだけどすれ違ってしまうが出会うことを期待する気持ちにはとても心地よい言葉で。
そして、最後の歌詞
心のまま僕はゆくのさ
誰も知ることのない明日へ
という歌詞は、仕事を辞めて不安定かもしれないがフリーとして働きだして前に進みだした貴樹の姿が重なった。
こんな風にして名曲とこのお話をリンクさせるとお互いに相乗効果を持って価値を高めることができるのだ。
もちろん、山崎まさよしの「One More Time,One More Chance」しか受け入れないという気持ちも分かるのだけど、同じ塗り絵に新しい色を塗ってみるように音楽を変えるだけで見えてくる世界がより鮮明になることがあることを知ってほしい。
最後に
この小説の最後に吉田大助という書評家・ライターが「語りなおした、その先に、あらわれるもの」という解説がとても気持ちよくこの作品を締めてくれる。
それは新海誠監督のあとがきよりも後にあるのだけど、新海誠監督が言葉として書ききれなかった部分を書き表してくれた。
この作品を見る・読むと鬱になるなんて言われているけれど、そんな部分が上手い一言になっていた。
身も蓋もない現実
大人になって生活をしているとたまにひょっこり顔を出すこともあるのだけど、生きているほとんどの時間を意識することもない自分にはどうしようもできない大きな存在としての現実。
そんな現実を身につまされ、フラッシュバックするのだ。
これがずっと映像作品だけだと言葉にできなかったことだった。
正直、新海誠監督はアニメーションだったり映像がメインの人で言葉を紡ぐのはあまり上手ではなかった。
それは言葉を事細かに重ねるのだけど、一生懸命詳細に語ったが故に思ったものと違うなという表現となってしまっていたり、粗が見えることもあった。
この辺が小説版の唯一残念なところ。
だけれど、それよりも大きな作品としての世界観を広げてくれる小説版はマイナスよりもプラスの方が大きいのは間違いない。
こちらからは以上です。
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