以前、Mr.Childrenについて、当たり前だと思っていたことが、他のアーティストには適応できないこと=呪縛として紹介したことがある。
よく考えてみると、ヴォーカルの桜井和寿の歌は、一般的に上手な歌ばかりではないことがたまにある。それは、楽曲全体のことを考えると一つの在り方を示していて、何ともアーティスティックな一面があるなと思うことがいくつかあったので、ピックアップしてみる。
歌詞が不明瞭
これは、割とミスチルが売れだした頃から、言われがちなことだと思う。何歌っているか分からないなんて、歌詞を聴いていい曲かどうか考えたい人にとっては、わざわざ歌詞カードを見ないといけないなんて、苦痛だろう。そして、ほとんどの歌詞を書いている桜井さんだって、どうでもいい気持ちで歌詞を書いているわけではない。やはり、これはマイナスな歌唱と言ってよいだろう。
もちろん、全てではないのだが、狙って歌詞の不明瞭な感じを出していることもある。例えば、シーソーゲームなんかは分かりやすい。
この曲は、Elvis Costelloのオマージュで、「Oliver's Army」なんかはかなり雰囲気が似ていて、よくできているなと思う。
おっと、ここですぐに、パクリだ!というのは、ナンセンスですよ。
PVでは、見た目もコステロに寄せ、もともとしゃがれた歌声も、よりコステロに寄せる。これはこれで、目的がコステロに寄せるということだと理解すると、面白いなと思って聴けるのではないでしょうか。
この曲の様に、歌詞が不明瞭に歌う曲がそこそこあります。もう少しかみ砕くと、洋楽っぽさを表現したくて、不明瞭な歌い方をすることがある。ここでいう洋楽っぽさとは、1音に1文字ではなく、英語のように1音で1単語以上を表すような歌詞の在り方や歌い方ということ。日本語の歌詞だと、モーラ的にも多く音が必要で、情報量が英語と比べると少なくなります。これが日本語の歌詞が歌に向かないと言われる理由の一つだったりします。
ここを歌い方を不明瞭にすることで、洋楽っぽい流れるような歌い方にするわけです。悪く言うと、歌詞が流れちゃう。狙いが洋楽っぽさなので、狙い通りでしょう。演歌に比べると、かなり単語を詰め込んで、音も詰め込んでいるので、早口ではあるんですが、英歌詞の音楽ほどの情報量はありません。
サザンオールスターズの桑田さんなんかも、ラジオで洋楽の歌詞へのあこがれを語っていて、”慕情(ぼじょう)”なんて単語は日本語っぽくない音で好きだなんて言っています。日本のアーティストだけでなく、洋楽アーティストにも影響を受けると大なり小なり洋楽へのあこがれが出てきてもおかしくないでしょう。
あとは、英歌詞に慣れておらず、自分の様にリスニング力がほぼ0の人間にとっては、英歌詞はぱっと聴いて理解できるものはほとんどありません。それでもメロディやリズムの良さは分かるし、いい音楽だとは分かるのです。なので、ミスチルの音楽も曲によっては、歌詞を全て聴きとれないなんてことはザラです。だから、何度も聴くことになるんですが、ここに特にストレスは感じません。何度も聴きたくなるくらいいい曲だと思うから聴くわけで、興味が湧かないと聴きません。ミスチルの曲を全て大好きなわけではないので、あくまで気に入った曲だけ繰り返し聴くことになります。 こういう聴き方をすると、歌詞が不明瞭であっても、楽曲の雰囲気やメロディを楽しむことができます。さらに、歌詞カードや歌詞を調べることでその音楽の世界に入っていけるという、2段階の工程が面倒な人には、面倒かもしれません。
注意して欲しいのは、別にすべての曲で歌詞を不明瞭に歌っているわけではなくて、歌詞をハッキリ明確に歌っている曲もあります。例えば、「しるし」はスローバラードなのもあって、歌詞は聴き取りやすいはずです。
ミスチルの歌詞の難儀なところは、音で単語化できただけでは、意味が分からずに解釈が必要になることが多々あることだったりします。こういうことも複合的に重なった結果、歌詞が分からないとなりがちな傾向はあるかと思います。
こういう歌い方は一番目のピークの頃、アルバムで言うと『Atomic Heart』くらいから『BOLERO』くらいまでは常套手段でした。それが、アルバムを重ねるごとにこういう歌唱法は減っています。少なくとも2010年代以降の作品では、ほとんどみられなくなりました。
音を外す
普通に考えて、歌で音を外したら音痴と呼ばれて、明らかに悪いものや笑いものになるんですね。カラオケの採点機能が発達していますが、音程が正確かどうかは歌としては根幹であって、これができないと歌手として失格と言っても過言ではありません。
これをやっちゃうんですよ。もちろん、とても明らかに音を外すというよりは、 伸ばしながら上ずっちゃったりする音源があります。例えば、「Everything(It's you)」です。
サビでちょっと上ずっちゃうんですよ。桜井さんの音域から言うと、HI-G(高いソ)はそんなに高い音ではないんですが、上ずっています。細かい部分なんですが、カラオケの採点ではNGになっちゃうかもしれない感じです。
後の声を割ると合わせて技もあったりするんですが、感情が前に出てしまって音が外れた!という表現です。前提として歌が上手い人が外すから成り立つのであって、誰がやってもできる技ではありません。まさに、エモいと言われる表現方法になります。
ミスチルはロックバンドか?と言われると、桜井さんはインタビューでポップバンドだと言っていたりするんですが、こういうエモい表現方法はロックにも通じるところがあります。ロックの”初期衝動”ってヤツで、溢れ出る内なる感情が外に出た感じがするのが、良いとされるわけです。 「Everything(It's you)」自体が、ロックバンドのバラードという雰囲気を持っていて、ミスチルの中では王道のロック路線をなぞった楽曲と言えます。そんな楽曲で、エモく歌われたら、それは胸アツとなるわけです。
ライブでは、普段と違うメロディーラインを歌うことがありますが、今回の音を外すとはまた違う表現です。あくまでアルバムやシングルと言った決まった音源の中での表現として、音を外していることを指しています。近年だと、PCを使って音を編集するのが容易になったので、あまりこういうテイクを聴くことは少なくなりました。それでもやはりあえて上ずった音を残していることが、なかなか凄いことだと思うわけです。
声を割る
いい歌い方・いい声というのは一概には言えないんですが、腹から出して濁りの無い歌や、耳元でささやく綺麗な歌声等、いろいろなパターンがあると思います。メタルのような例外はありますが、声が割れるのはあまり良いとはされないのではないでしょうか。桜井さんの元々の歌声自体、しゃがれ声であったりするのですが、それにしても喉を締めて絞る出すような歌い方をすることがあります。「REM」のAメロあたりは分かりやすい例です。
こういう歌声をレッドゾーンに持っていて、割れるくらいの勢いとパワーを表現するわけです。ロック界隈ではガナるなんて言ったりしますが、ポップ畑だとあまり使わない歌唱法かもしれません。
基本として、喉を締めて歌うのは喉に負担がかかるため、長く歌えないため推奨されません。それでも、喉を締めた状態でしか出せない歌声があるので、そこをあえて選択することがなかなかスゴイのです。ミスチルもいい加減長く音楽活動を続けていて、これまでも紆余曲折があり、それでも活動を続けていくとき、特にキモとなる声に大きく影響の出る喉を酷使する選択をするのは、結構リスクがあると思います。
この表現を2010年を過ぎてから、よく使うようになってきている。アルバム等の音楽作品でもそうなんですが、ライブ作品でよく見られます。Mr.シャチホコが物まねするライブでテンションが上がった時の桜井さんのモノマネなんかは、ちょうど分かりやすい部分を真似ています。
最後に
ミスチルをポップスだと思うと、テクニックの効いた整った歌唱が求められがちですが、桜井さんはあえてそこを外してくるようなアプローチをします。ファッションのハズシのテクニックと似ていて、バランスをあえて崩すことでバランスをいびつにしたり、尖った部分をさらにとがらせたりというオリジナリティを出すために一役買っています。歌も音楽の一部で、その全体の為のアプローチとしての歌唱法ということです。
こちらからは、以上です。
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