Jailbreak

新しい世界の切り取り方

音楽のあの頃のあの作品が至高問題

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問題というほど大きな問題でもないのだが、自分の結論としては音楽くらい自分が好きなものを聴けば良いし、新しい音楽に興味があれば聴けばよいと思っている。

 

実際未だに新しい音楽は自分のアンテナで聴いており、半期に一度良かったアルバム10枚程度、曲を10曲程度記事にまとめられるくらいには、音楽を聴いている。

 

自分の中の音楽が凝り固まってしまうことはあると思っていて、それがどういうことなのかというのを、自分を例にして解説してみようと思う。

世代的には30代半ばなのと、例としてあげる音楽がビックアーティストに偏るのはご容赦いただきたい。

 

好きなアーティストであっても新しい作品に心震えない

音楽を長く聴いていると、好きなアーティストであっても新しい作品に心震えない感覚がある。

あの頃のあの作品が至高だと思うことすらある。

こういうことがあるとき、どういう危機感を覚えるかというと、新しい音楽を受け入れられていないんじゃないかと思うこと。

もっと言えば、自分をアップデートできていない、感覚を最新化できていないんじゃないかという不安とも言える。

自分で言うと、ミスチルと言えば、『Atomic Heart』、『深海』、『BOLERO』辺り、B'zだと『SURVIVE』、『Brotherhood』は至高だよなと思ったりして、新しい作品が霞んでしまうことがよくある。

それもそのはずで、”そのアーティストと言えば、これ”という価値観を作った作品なので、そんな強固な価値観をぶっ壊すほどの作品はそうそう出会えない。

そもそも自分の音楽観を作ったようなアルバムだと、余計に厄介である。


自分の中で評価が定まってきて、評価のストライクゾーンを決めた作品と、好きか嫌いか分からない新作を比べるのはあまりよくない。 

新しい作品も少し気に入ったらある程度時間をかけて、自分の歴史の一部にしていかないと、比べる対象にならないのだ。

 

アーティストが変わったのか、聴き手が変わったのか

新しい作品を良いと思えないのは、アーティストが変わったせいで、聴き手の期待するストライクゾーンから外れたのか。

それとも、アーティストは変わらず、聴き手の期待するストライクゾーンが変わったから、新しい作品が良いと思わないのか。

両方のパターンがあり得る。

 

アーティストは、新しい作品をその時のテーマやきっかけがあって、作り出している。

こういう作品ができるたびに、どういう背景でその作品が出来上がったのかを知るのは、その作品をより深く楽しむ方法の一つだと思う。

そのため、自分は雑誌やネット上のインタビュー記事があれば、可能な限り目を通すようにしている。

できれば、余計な情報がない状態で1回通して聴き、その後に作品の背景を入れることにはしているが、いつもこれが守られるわけではない。

自分が至高だと思っている作品と新しい作品は、作った背景が違うのだから、そうそう似たようなものにはならない。

これには一部例外もある。

サザンオールスターズの桑田節みたいな、作品が違うのだが、明らかに桑田佳祐の歌だと分かるものもある。

これこそ、オリジナリティの例といっても過言ではないし、成熟したアーティストだから発生することである。

 

アーティストも変わっていくし、昔はよく恋愛をネタにした歌詞を書いていたのに、歳を重ねるにつれて家族のことや人生のことを歌うことだってある。

以前はハードな音楽性だったにもかかわらず、ソフトな音楽性に変わる、突然変異のようなわけのわからないことをやったりもする。

例えば、未だに椎名林檎の『加爾基 精液 栗ノ花』は本当にやりたいことをやってしまって、わけのわからない方向に進んでしまった結果だと考えている。

音楽で成功したいのだが、売れることを目指すのがよいか、自分のやりたいことを追求した方がよいのか、作品は評価が大事なのか、それよりも広告/宣伝なのかという質問に対してメンタリストのDAIGOが「好きなことで成功したいなら、まずは悪魔に魂を売れ。好きなことをやるのはその後だ」と言っていたお話は成功したミュージシャンにありがちなモデルだと思う。

 

売れる音楽を作り、売れてからもっと本格的にやりたい音楽をやる。

それが故に、アーティストのやりたいことと別なことをやって売れず地獄を見ることもあるし、アーティストがやりたいことを追い求めすぎて売れなかったりすることもある。

実はアーティスト側からすると、今までと違う路線のやりたいことをやったことで、聴く側の思っているものと違ってくることはある。

 

こういうアーティスト変化が好ましい変化かどうかが、聴く側の変化による。

同じ音楽性を期待すると、裏切られることは多々ある。

実際の経験として個人的にもあるので、今回の作品はどう出るかな?くらいで身構えておくことにしている。

アーティストの変化が、自分の変化と合わず歌詞が刺さらなくなったり、聴く側の好きなサウンドが変わったため、良いと感じないこともある。

こればかりは、変化していく中で作品と聴く側が交わらないことが発生してしまう。

 

今の自分に合う音楽が見つからない問題を含んでいる

昔のような感度や速度で音楽に触れられないこともあり、今聴きたい音楽を探していく難しさがある。

単純に忙しいから音楽に時間が割けないということでもある。

そもそも自分に合う音楽を意識的に探しに行くことをしないでも、至高の作品に出会ったような気がするのだが、いつのまにかそういう機会がなくなったのかもしれない。

別な流れとして、SpotifyやAppleミュージックのようなサブスクリプションで音楽に触れる機会は増えそうなものなので、1つの解決策にはなるかもしれない。

Youtubeで無料で聴ける音楽は増えているし、良いと評価された曲=再生数という分かり易い指標もある。

そういう手段で解決の糸はありそうだが、至高だと思っている作品に対して、割いている自分のリソースが明らかに違う。

初めて買ったCDの聴き込み方と、今の音楽の聴き方が変わっており、あんなに深く1枚のアルバム、1曲を聴けてないことがある。

学生時代のようなまっさらな状態で、何度も聴き込んで、歌詞を歌詞カードなしで歌えるくらいの状態になる曲は本当にすくない。

学生時代の頃は、カラオケに歌詞が出てくることにあまり価値を感じなかったが、社会人になり、そこまで聴き込んだ歌を歌わなくなったせいなのか、カラオケの歌詞の表示には本当に助けられる。

その一方で、Not For Meな音楽は割と明確になってきている。

こういうジャンルの曲はダメだなと経験的にある程度分かってきている。

自分の場合だと、ずっとグロウルしているデスメタルや、明らかに眠らせにきていると思うようなヒーリングミュージックは自分には合わないと分かってきている。

何が自分に合うか、合わないかは変化しそうな部分ではあるが、それでも変わらず無理だなと思うものもある。

 

 

歳をとると音楽を聴かなくなるということ論じたものはある

ノックス大学心理学教授のフランク・T・マカンドリュー氏が学術系ニュースサイト・The Conversationで考察

アゴラの黒坂 岳央氏による33歳から新しい音楽を聴かなくなる理由とその対策

ある程度の人が感じることなのかもしれない。

興味を失ってしまえば、仕方ない。 

好きだから聴くというガチな姿勢よりは、音楽を流しておいて、ちょっと気になった曲を調べてみて、好きになっていくくらいの姿勢の方が良さそうだ。

 

音楽くらい自分の好きなものを好きなように聴いたらよい

冒頭に書いた通り、結局音楽くらい好きなものを好きなように聴くのが良いと思い至る。

アーティストの作り出した作品と聴く側という2つの変動するものが、必ずしも交わるとは限らないということである。

あの頃のあの作品のような同じ体験はもうできないかもしれない。

それでも新しいものを追い求めれば、求めていけば良いと思うし、自分はまだまだ追い求めていく。

新しい音楽を受け入れられていないんじゃないかと思うこと、自分をアップデートできていない、感覚を最新化できていないんじゃないかと思うことについては、あまり心配がいらないと思い至っている。

 

こちらからは、以上です。

 

 

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