Jailbreak

新しい世界の切り取り方

関ジャムを見て、このレベルの語りで音楽を語って良いのか!と気づく

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逆もしかりなんですが、案外”このレベルで音楽を語って良いんだ”と思うことがあります。もちろん、解説は超一流のミュージシャンが行っていたりするので、なかなかそのレベルにまでいけないこともあるのですが、逆に個人的に語れるぞと思うこともあるわけです。もっというと、勝手にレベルに制限をかけているのは自分で、そんな制限なくどんどん書いていけば良いのだと思わされたりもするのです。

 

例えば、自分の大好きなものとして、ロックバンドの名バラードがあります。これはたくさんあり過ぎて、全然アウトプットできていないことの一つだったりします。それが、「プロがギャップにやられた傑作バラード」という名で1つの番組となっていました。この時紹介された、サンボマスターの「ラブソング」やEric Claptonの「Tears In Heaven」なんかは、今さら触れる必要がある?と思うくらい自分の中では王道の名曲だったりするわけです。他にもSPEEDの「White Love」ってバラードだっけ?という、自分の考えているバラードから外れてもOKなんだ!という気づきもあったりします。

そこで、紹介されていたのは、B'zの「Calling」だったりして、こんなの自分がJ-POPを聴き始めて、CDだけど擦り倒して、なんならコピーもした曲を今さら掘り返すか!?とも思うわけです。しかし、ブログに書いてこなかったのは自分なんですね。「Calling」なんて、イントロのリフからアウトロのフェードアウトまで、語ること山ほどあるんですよ。純粋に聴き込んでいるので、歌詞の世界観から楽器のフレーズの凄さと、とにかくたくさんある。

 

同じテーマの中で、鬼龍院翔がB'z「いつかのメリークリスマス」を挙げて、椅子を買うBメロの一般的なプレゼントとは違うところを指して、一気にここで世界観が広がる・リアリティが増すというツッコミをしていて、これはその通りだなと思わざるを得ないシーンなんかも出てくるのです。これだから、好きな人が語る好きな音楽の話はやめられません。こういう表現が上手くされているのが、関ジャムの良さだったりもします。

 

「こんなテーマがあったか!」と驚かされ、「この曲も紹介するか!」と自分の既成概念を壊し、「こんなにいい音楽があったか!」と思い知らされる番組が、関ジャムという番組だなとつくづく思いました。 自分を制限するものは、自分なのだと気づかせてくれたのです。

 

こちらからは、以上です。