以前、こんな記事を書いたことがある。
言いたいことはちゃんと書いてあり、タイトル通りの内容。
とはいえ、音楽には鮮度があり、ミュージシャンには旬があり、その最高の時期を超えてしまうと価値が下がってしまう。
じゃあ、この音楽の鮮度とミュージシャンに旬について考えてみたい。
音楽の鮮度
音楽の鮮度は耳にした年月日が関係する。
まずはその楽曲が生み出されて発売・公開された日である。これが楽曲が世に出た状態であり、リスナーに初めて音楽が届く状態になる。
この楽曲がいつ制作されたかはあまり重要ではない。ストックした何年も前の曲かもしれないし、書き下ろしたものかもしれない。それでも楽曲はリスナーの耳に届いて初めて楽曲になるのだ。
そして、リスナーの耳に届いた時に音楽の鮮度が決まる。
最新曲も30年前の曲も初めて聴いた音楽は新鮮さがある。それは聴いたことがない音楽だからというのがあるだろう。もちろん、今まで聴いた音楽と似ているためあまり新鮮さを感じないこともある。何十年も前の音楽だとサウンドや歌詞が古臭かったりしてイマイチに感じることもある。ある程度流行や時代が反映された音楽ならなおさらである。古臭さが新しく感じ、また流行るのはファッションと同じで音楽でもそんなことが繰り返されているので、案外古臭いものがまたやってきたりするからややこしいことになる。
これはその人の音楽的背景(どれだけどんな音楽を聴いてきたか)が関係するので一概に言えないところが難しいところだ。
今年発売された音楽は最新の音楽であるのは間違いないので、鮮度は高くなる。それも何度も聴いていくうちに自分の頭で再生できるようになると、音楽としての鮮度は落ちている状態かもしれない。また、古臭いと感じる音楽も鮮度が低いと感じることもある。
新鮮=いい音楽とは限らない。
しかし、鮮度が高いと音楽が自分をワクワクさせてくれる可能性は高い。
音楽の鮮度はあなた自身の反応に因るのだ。
ミュージシャンの旬
ミュージシャンには旬がある。
いつ旬が来るかは分からないし、基本的には旬が1度やってくれば良い方で、旬が来る前に引退や解散してしまうアーティストもいる。
旬な時には音楽が売れるし、メディアでの露出も増え、ライブへの出演も増える。また、何よりパフォーマンスのクオリティが高い。パフォーマンスのクオリティが高いのだから音楽、さらにはエンターテインメントとして質が高いものを提供できる。
しかし、この時期は長くは続かない。通常だと1~3年程度が賞味期限だ。
その後は惰性でオリコンチャートで1位を獲得することはあるが、別な旬なアーティストに負けだし、リリースも少なくなっていく。
そこで完全に落ちてしまうアーティストもいれば、細々と活動を続けるアーティストもいる。活動が長くなれば、昔ながらのファンはついてくることはあるし、再ブレークの可能性はゼロではない。そんな中メンバーのソロ活動やプロデューサーとしてメインの活動をシフトしていくこともある。そして、元○○といった枕詞がつくことがある程度のステータスになることもある。
パフォーマンスのクオリティが高いのがミュージシャンの旬だとすると、安室奈美恵は驚異的である。年齢を重ねていく毎に本物志向になり、ライブでのダンスのキレが半端ではなく、しかもMCがほぼないことが安室本人のパフォーマンスに集中することとな
また、旬を超えても尚売れることでビックアーティストになっていくことがある。
時代背景もあるが、サザンオールスターズそして桑田佳祐のソロ活動と桑田佳祐はサザンオールスターズで一度売れながらもソロ活動でも評価され、90年代にまた売れ、2000年には「TSUNAMI」と各年代で売れ続けている稀なアーティストだ。
サザンオールスターズ「東京VICTORY」MUSIC VIDEO
サザンオールスターズのライブパフォーマンスは「その人がその場にいて歌って演奏してくれること」の価値が高くなっているので、ここまでくると旬を超えても関係がなくなってくる。
演奏の安定感や高パフォーマンスを発揮するのはジャンルやミュージシャン自身のキャラにもよる。パンクバンドだと20代の青臭い演奏が最高だったり、演歌だと60代を超えての円熟感がその価値を上げていく。J-POPに限ると20~30代をピークに迎えることが多いかもしれない。
売れ続けること・音楽の鮮度・ミュージシャンの旬の関係
旬を過ぎてもオワコン化せず、売れ続けることの大事さは冒頭の記事内で語った通りだ。
では、ミュージシャンはどうしていくのが良いのだろう。
売れることはミュージシャンが活動を続けていくためには必要なことだ。そのためにはミュージシャンとして旬を迎えることが必要となる。有限な才能と命を削りながら出来上がった楽曲が輝くこともあるし、続けることで演奏への安定感を増していく可能性もある。しかし、それには最低限売れなくてはならない。
いい曲を書き続け、とにかく音楽を続けることが必要なのだ。そして、鮮度の高い楽曲を提供し続けることで新たな風を呼び込むしかないのだ。
どんなに頑張っても、才能は枯渇する。だから長期休暇や活動休止を選ぶことも時には必要だ。
日本のアーティストは少ないが、海外のアーティストが5年ぶり、10年ぶりに作品を出すことは珍しくない。もちろん、契約形態や入ってくるお金の仕組みが違うので簡単に比較はできない。
その一方で、鮮度が高くとも「やっぱりこのアーティストだな」と思わせるオリジナリティがあると強い。
例えば、スピッツは活動が長く2~3年リリースがないこともあるが、その楽曲を聴くと「やっぱりスピッツだな」という安心感がある。シングルやアルバム毎に色はあるのだが、どこからどう聴いてもスピッツなのである。
スピッツには旬があったとするなら、アルバム「空の飛び方」(1994)から「フェイクファー」 (1999)くらいまでだった気がするのだが、最近の楽曲がそれに劣るかというと案外そんなことがないと言えてしまうのが、スピッツの恐ろしさである。
オリジナリティを出すことは大事だが、オリジナリティが暴走してしまってはとても聴きづらいものになりがちである。
椎名林檎のソロ作品は1st、2ndと自身のエグイ歌声とエッジの効いたサウンドがありつつ、音楽の枠組みとしては至極普通かつ美メロを持ってくることでバランスを取っていた。しかし、3rdアルバムの「加爾基 精液 栗ノ花」でついにオリジナリティの暴走をやってしまった。今までのバンドサウンドからかけ離れ、キャッチーさを失った楽曲を受け入れがたかったはずだ。その後、名プロデューサーの亀田誠治と組み、東京事変で正気を取り戻したが、ミュージシャンが本当にオリジナリティだけを求めてしまうとポピュラリティを欠いてしまい、売れなくなることの例だ。
オリジナリティとポピュラリティのバランスをとり、売れ続けることがミュージシャンに求められることなのだ。
最後に
いい音楽は聴きたいし、いい演奏を目の前で聴けるのはとても良いことだと思っている。LPがそれをいつでも聴けるようになり、ウォークマンがどこでも聴けるようにした。
いい音楽を提供するのがレコード会社の使命であり、ミュージシャンの使命なのだ。
音楽を聴く時、ライブDVDを見る時、旬の時の最高の演奏を聴いてみると心震えることがある。それは、楽曲の鮮度がそれほど高くないにも関わらず、とても輝いて聴こえることがある。
たまにこんなことを念頭に置いて音楽を聴いてみると、また違った面が見えてきて楽しめるかもしれない。
こちらからは以上です。
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